大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和30年(オ)464号 判決 1956年4月05日

横浜市港北区菊名町六六六番地

上告人

居関稔

東京都千代田区大手町一の七番地

被上告人

東京国税局長

脇阪実

右当事者間の所得税納税義務取消請求事件について、東京高等裁判所が昭和三〇年三月二四日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

原判決が適法になした事実認定の要旨は、菊名製パン所の営業主は、上告人(原告、控訴人)であつて、その営業上の収益は、上告人に帰属するものと認められるというのである。されば、所論は、原審が適法になした事実認定を非難するか、又は、原判決の判示に副わない事実関係(原判決は、税務署が当然なすべき調査もせずに、申告書通り納税義務者を決定したもので、申告書に従つての処置なる故正当であるとは判示していない。)を前提とする主張であつて、採用することができない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 斎藤悠輔 裁判官 真野毅 裁判官 岩松三郎 裁判官 入江俊郎)

(参考)

○昭和三〇年(オ)第四六四号

上告人 居関稔

被上告人 東京国税局長

上告人の上告理由

本件上告に当りこれが適用の法令、並びに援用の証拠、証言及び事実次の如し。

一、憲法第十二条

(自由、権利の保持と公共の福祉)

二、民法第一条ノ三

権利ノ濫用ハ之ヲ許サズ

三、民事訴訟法第三九五条第一項ノ六

判決ニ理由ヲ附セズ又ハ理由ニ齟齬アルトキ

四、所得税法第三条ノ二

資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者が単なる名義人であつて当該収益を享受せず、その者以外の者が当該収益を享受する場合に於ては当該収益に付ては所得税はその収益を享受する者に対してこれを課するものとする。

五、所得帰属の判定基準(基本通達一五八)

事業の所得が何人であるかに付ては必ずしも事業の用に供する資産の所有権者、若しくは賃借権者、免許可事業の免許可名義者、若しくはその他の事業の取引名義者、その事業に従事する形式等にとらはれることなく実質的にその事業を経営して居ると認められる者が何人であるかにより、これを判定するものとする。

六、「お知らせ」(甲第一号証)並に被上告人の申請せる平良保の証言

税務署の発送せる「お知らせ」なる書面の作成順序並に発送の経緯はその書面にも記載されて居るが、尚控訴審判示理由に指摘されて居る如く証人平良保の証言によれば、「お知らせ」は前年度分所得税につき確定申告をすべき納税義務者全部に対し右の趣旨を徹底させる為め発送した事実、又その前年度なる昭和二十四年度分の営業所得の確定申告書が訴外居関糸子で提出されて居た関係で同人宛に「お知らせ」を配付した事実

◎ 上告理由第一、所得税法第三条ノ二に違背す。

所得課税はその事業の前年度の営業形態及び総収支決算を基礎に更らに税務署の詳細なる実態調査を加へて課税の基礎資料となし、此の結果が所謂「お知らせ」(甲第一号証)なる税務署作成書面となり、納税義務者にその書面が発送されその名宛人即ち被通知人である訴外居関糸子が所得の帰属者即ち納税義務者であり上告人に納税義務の理由なしと主張して控訴判決に不服を申立てるものであります。

即ち菊名製パン所と称する個人営業は昭和二十三年の創業であり此の事業資産の所有権者、事業の免許可名儀者、及び事業の取引名儀者は何れも上告人たる居関稔名儀でありしことは被上告人即ち神奈川税務署自らも認める所であり、(被上告人提出の下記証拠書類援用乙第四号証、乙第五号証、乙第八号証、乙第十号証、乙第九号証、乙第十二号証、乙第十三号証、乙第十四号証、乙第十五号証)従つて営業名儀人は当然上告人たりしに拘はらず、事業資産の所有権者、免許可名儀者、取引名儀者、営業名儀人の何れにも該当しない上告人の妻たる居関糸子なる名称を故意及び積極的に探り出し同人を営業名儀人と推定し以て所得の帰属を同人に決定して、創業以来引続き同人に課税し、更に本件係争の根源即ち不服申立ての基本的理由とする昭和二十五年度の所得の予定申告に際し所轄神奈川税務署は「お知らせ」なる書面を同人たる居関糸子宛に通告して居る事実(甲第一号証並に平良保の証言)は所得税法第三条ノ二及び所得の帰属判定基準適用に依る税務署の正当なる処置たることに外ならない。それは斯くの如く解釈せざれば所得の帰属者を営業名儀人でもなく又税務署への提出書類上及び其の他に於て公然且つ外見上決して知り得ない女名儀の居関糸子の事業所得と決定し同人宛に徴税令書を発送し、為めに同人が納税し(甲第三号証=所得税を基礎にせるものなり)此の昭和二十四年度の納税事実並びに税務署の実態調書を基礎とした「お知らせ」を営業名儀人でない居関糸子に通知した経緯と理由が成り立たないからである。

従つて所得税法第三条ノ二並に基本通達一五八に依つて適法に成立した「お知らせ」の被通知人たる訴外居関糸子が納税義務者であるのが当然正当なるにこれを不法に抹消して納税義務を上告人に転嫁した税務署の違法処置を承認せる控訴審の判示は明らかに事実の誤認であり、審理不尽と解するの外はない。これは実に所得税法第三条ノ二の適用を誤りたるものとして不服を申立てるものであります。

◎ 上告理由第二、所得税法第三条ノ二の違背ならざれば憲法第十二条に背くものである。

所得課税に際し税務署が当然為す可き調査もせずに申告書通り納税義務者を決定することは(最近の青色申告等は別問題)職員の重大なる怠慢過失であり、明らかに所得税法第三条ノ二に背くものである。而しこれが本人の申告に従つた当然の処置だとして正当なりとの判示は憲法第十二条に背くものである。

(一) 控訴審平良保の証言に依れば「昭和二十五年七月三十一日の予定申告に際し、上告人たる居関稔で申告せるを以て従来の納税義務者を抹消して上告人名義に所得調査簿を変更せる旨」の証言あり同様の趣旨が控訴審の判決理由にも示されて居るが

個人所得税は

納税者(所得の帰属者)は 何某なりや

納税額(所得に対する課税額)は 何程の金額なりや

と云う二項しかないことは敢えて云う迄もない、八章七十四条から成る極めて繁雑なる所得税法も此の二項に尽きると称しても決して過言ではない、この最も重要なる納税義務者即ち所得の帰属者の判定が単に申告のみに依るとの前述の証言が当時の所得課税の実状なりとせば従来居関糸子が納税者であつても申告に際しその夫たる居関稔で申告すれば居関稔の納税義務が発生し、更に同居の家族名義或は同姓の仮空名儀甚だしくは全然関連のない第三者名義で申告してもその儘申告通り納税義務者を認めねばならぬことになるが、斯くの如き不合理な理論は決して許されない。即ち申告書記載の儘何の調査もせずに納税義務者を決定するが如きは違法たることは敢て云う迄もない。

(二) 又仮に例題をとれば

「実質は日本人の経営になる料理店がその許認可は第三国人名義で当局の営業許可を取りその第三国人たるが故に統制物資等も自由に販売するは勿論、その種々の特権を利用して暴利を得その莫大なる所得に課税して徴税し様うとするに際し営業名義人は本国へ帰還したとか、或は名儀人は実在せずと称して徴税不能になる」このような然態の発生を恐れて、換言すれば課税対象の誤りなき様、即ち所得の帰属者の判定に誤りなき様規定されたのが所得税法第三条ノ二の立法精神ならずやと肯ける。又基本通達一五八も同趣旨の所得課税に対する税務職員の規範を示したるに外ならぬ。

(三) 然かるに被上告人たる神奈川税務署は自らの指示に相反した名義で所得申告したに拘はらず何の調査もなさず極めて簡単に従来の名義を抹消して納税義務を他人に転嫁した事実は重大なる過失であらねばならぬ、斯くの如く所得課税の最も重要なる納税義務者決定の処置が一片の申告書のみで抹消或は変更し得るものではなく況んや菊名製パン所なる事業は事業開始以来申告書提出時及びそれ以後に於てもその経営形態に何等変更なきにも拘はらず単に申告書の記載通りに納税者を抹消変更したと証言する被上告人の証言は、明らかに所得税法第三条ノ二に違背するものであり、此の被上告人の重大なる過失と法令の違背事実を誤認して「申告書に従つての処置なる故正当なり」との控訴審の判示は明らかに被上告人たる税務署が自らの過失を糊塗蔭覆せんが為め上告人の申告記載にその責任を転嫁し以て自己の重大なる過失を他人の責任に於て免れんとする税務署の違法行為は実に、官吏としての職権濫用なりと断ぜざるを得ない。此れ憲法第十二条並に民法第一条ノ三に謂う権利の濫用なり、権利の濫用はこれを許されない。

◎ 上告理由第三、控訴審の判示に従へば所得税法第三条ノ二の適用に齟齬が起ること。

即ち神奈川税務署は本件係争の因をなす予定申告書提出の昭和二十五年七月末日迄は納税義務者を従来通り訴外居関糸子と確定して置き、申告書提出後に上告人に変更したる事実は平良保の証言並に判示に明らかなるが所得の帰属する原因、理由、即ち菊名製パン所の経営形態、或は営業状態は本件予定申告提出前と後に於ても何の変動もないにも拘はらず

二十五年七月末日迄は

所得税法第三条ノ二適用(上告理由第一に詳述)

同 年八月以降は

所得税法第三条ノ二非適用(証言並に判決理由)

斯くの如く所得税法第三条ノ二の適用対象たる菊名製パン所当該年度中の経営形態、その他に変動なきに拘はらず前期七ケ月は第三条ノ二を適用し、後期五ケ月には非適用の事実と結果を生じ法律の適用に明らかな齟齬を来たすこととなり、民訴第三九五条第一項の六に該当する「常ニ上告ノ理由アルモノトス」故に上告の第三の理由とするものなり。

尚お上告理由の附加的申述として左の上申を致します。

控訴審判決に於て原審判決の理由を引用するとあるを以て左の如く第一審判示に対する事実の誤認に依る不服を申立てん。

(一) 原審判決理由に原告が請求及び争いもしない所得金額に付いて冒頭より極めて詳細にその理由書全体の三分の一の紙面を費して判示されているが本件納税義務取消の訴の請求の趣旨を正解せざるきらいがあり理由としての妥当性を欠くばかりでなく其の目的が逸脱している感がある。

即ち所得金額の多寡に依つてその帰属者が変つたり或は納税義務者の何人なるかに依つてその営業所得の額に影響を与えるものではなく実に所得税は総収入額より総支出額を控除した額を基礎として課税されるものであり所得帰属者の如何はその事業の課税額算定の基礎になるものではない。

然かるに原審準備手続に於て被告側は所得額に拘泥し、あたかも所得金額減額の訴の如き錯誤ありし如く察せられたので原告が「所得金額には少しも触れてはいない、納税義務取消の訴である」旨を主張して漸く本件請求の趣旨に戻つた経緯があり、斯くの如く請求の趣旨を正解せず全く目的を逸脱した準備手続が行はれた事が第一審判示に於て事実誤認の因をなしたのではないかと思われる。

(二) 更らに原審判決理由第二頁第四行よりの判示に依れば

営業登録は原告名義で登録されて居ること

学校給食に関し神奈川県教育委員会と原告名義の契約のあることを以て原告が納税義務者なりとの認定なるも之は所得税法第三条ノ二並に基本通達一五八に依る上告理由第一に詳述する如く理論として首肯出来ない。

仮りに一歩を譲つて右の事実より推論しても右登録及び契約は何れも昭和二十五年十月末日及び十一月初日なるを以てその期日以後を判示に云う名義人としても昭和二十五年度は十カ月は居関糸子である、二ケ月は原告である事になり登録日並に契約日時を以て強いて事業所得を判定せんとせば事業期間の長い側、即ち居関糸子に納税義務を負担させざるを得ない結論になることは判示の趣旨と全く相反した結果になり、余りにも皮肉なる事実である。

(三) 又同判決理由第二頁末行より第三頁九行迄に於て

東京国税局長宛の審査請求書(乙第三号証の二)

右書類が原告名で提出されて居るを以て原告が納税義務者なりと判示せるも徴税令書が来ればその名宛人名義で異議の申立をするのは書類上の常識であり従つて本請求書を提出した事実は納税義務者推定の資料たり得ない、又税務署当局に出向いて接渉したのは原告であるを以て納税義務者はその原告なりとの判示も次の理由で理論的根拠がない。

それは所得の帰属者でない者に徴税令書が送付され更に徴税の強行に依る差し押へ等を受けるに於ては被害者たる原告が当該税務署と接渉するは当然の行為であり、訴訟行為等を弁護士に依頼する如く、税務署の不法なる処置より生ずる家族の被害及び負担を救助する夫の行為は公序良俗に依る当然の行為なるも、況んや東京国税局と接渉せるは昭和二十六年~二十七年にかけてのことであり当時既に居関糸子は事業を廃業しその営業権を菊名製パン株式会社に譲渡後のことであり以上の理由から妻が出向かないのは当然である。

(四) 又原審判決に於てその理由第三頁第九行目より終末に渡り

甲、居関糸子名義市民税納入の事実

乙、昭和二十五年度「お知らせ」は居関糸子宛に送付されて居る事実

丙、営業業務担当者を居関糸子と判示し

丁、凡ての支払いは居関糸子名義第一銀行小切手に依る支払の事実

右の事実から判示して曰く

甲、右の事実のみを以て右認定を覆えすに足らずと断じ

乙、此の事実は菊名製パン所の営業収益の帰属自体に関係がないと論じ

丙、営業上の業務担当執行をして居る者が必ずしもその営業よりする収益の帰属者とは限らないと判示し

丁、小切手の振出名義人が原告でなくて居関糸子であつたと云う事実だけでは前記認定を覆えすに足らずとなし

斯様にして甲及び丁の判示に曰く「この事実のみでは認定を覆えすに足らず」との判示なるも是くの如く各々を分離各別々の認定でなく甲及び丁は勿論のこと乙、丙、その他を加えた総合的の見解の元に於ける審理と判示を求め度い、これが示されて居ないのはあながち本件請求の趣旨をあたかも所得税減額請求の如き予断及び錯覚の為めのみの審理不尽とは察せられない。

乙に至つては上告理由第一に詳述したので此処では申述べない。

更に丁に至つては実に個人営業にありてはその所得の帰属判定は卒直に云つて「事業の収入が誰の懷ろに入りその税が誰の手で支払はれたか」を見定めることが唯一つ、最短の路であることは申述べる迄もあるまい、此の昭和二十五年度の事業の支払者が即ち所得の帰属者であり、支払者が居関糸子なりとの事実(取引銀行証明)より推定する時は所得の帰属者は居関糸子なりとの結論は論理学の説明を待つ迄もたい事実である。

斯くの如く「この事実のみでは前記認定を覆えすに足らず」と甲及び丁の二ケ所に判示され、丙に於ては「必ずしも限らない」と判示されて居るが「この事実のみなる」言葉は単なる一個の事実のみを捕へての文言的意味なるべきに、前記三個の事実を各別々に捕えてこれのみでは……との判示は理論も成り立たず実状にもそえない。

尤も事実を如何に認定するかはそれは本人の主観であり個人の自由であり得るも結論を急ぐの余り事実より推理した認定がそのまま判示されて「掻い処へ手の届かない」恨みがあり、願はくば事実より生ずる理論其の理論からかかる推理と結論の生ずる旨の理論的判示を望みたい。

此の甲、乙、丙、丁、何れも理論を示されずに事実と結論のみの判示理由になるが特に丁のみでも系統的、理論的換言すれば何人にも納得の出来る判示を望み度い。

以上の如く上告理由の外特に第一審判決の判示に納得出来ない多くの疑点があるので上告理由に附加して申述べました。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例